3月19日(木)、ユニクロのグローバル・ブランド・アンバサダーでプロ車椅子テニスプレーヤーの国枝慎吾選手と、プロ将棋棋士の羽生善治名人との対談を毎日新聞本社の一室で行いました。国枝選手は、大の将棋好きでもあり、兼ねてから羽生名人の大ファンで、かなりの腕前だそうです。
当日は、国枝選手が、先日行われたコンベンションでユニクロの柳井社長からスポーツ功労者文部科学大臣賞受賞のお祝いとして贈られた将棋盤や駒を持参。対談が始まる前に羽生名人と国枝選手が将棋盤や駒を前にして記念撮影を行いました。
対談の中では、将棋とテニスの共通点から、ナンバーワンであり続けるための秘訣などについてお二人のトークが盛り上がりました。また、羽生名人が積極的に国枝選手に質問を投げかけている姿が印象的でした。
対談の詳しい内容は下記のとおりです。
Q:お互いの印象は?
国枝選手:羽生名人は小学生の時から活躍なさっていて、今でも頂点にいる。長い間勝ち続けるというところがかっこいいと思います。
羽生名人:車椅子テニスというハードな競技で、ずっと勝ち続けられていて、実際は大変なんだろうなと思います。テニスと将棋は共通項があると思っています。一つは、対面で行うということ。また、勝負のつき方も似ていて、たくさんポイントをとっても必ずしも勝てるわけではないという所が実は同じです。いい手を指せば勝てるというわけではなく、ミスがなくても負けてしまうこともあります。
Q:試合の流れのつかみ方については?
国枝選手:ラリーはずっとしていますが、ポイント間が20秒まで許されているので、20秒間のうちに「間」を作ることが大事です。チェンジエンドは90秒あるので、それをどう使うかを考えています。自分が失点した場合は、まずは落ち着いて、普段と同じような自分をつくっていくことで調子を取り戻したりしています。また、ラリー中も常に頭がフル回転している感覚なので、試合が終わってから頭が一番疲れます。身体も疲れてはいますが、常にどこにボールが来るかを自分が打ったボールで予測し続ける競技なので。
羽生名人:将棋でも最後の秒読みが30秒と1分がある。この30秒の差は大きくて、30秒だと2つの手を比較検討して、選択するまでの時間はないのですが、1分あると2つの手ぐらいを比較する時間はあります。反省や検証は、対局中あまりやってはいけないことなんですが、ついやりたくなってしまう。気持ちの切り替えや集中の割り振りは経験やトレーニングも大事ですが、いくらやっても難しいですね。
Q:トップであり続けることの秘訣や、大変なことはありますか?
国枝選手:初めて1位になったのが、2006年。1位になる前は、練習する時も1位の選手に勝つにはどうすれば良いかを考えていたんですが、1位になった瞬間、誰の背中も見えなくなって、精神的なスランプに陥りました。それでも試合は続きます。その中で、試合中ミスもあるし、打ちにくいコースもあったので、ランキングは1位だけれども自分として、まだ伸ばせる部分が沢山あると思って、今まで「対誰か」で考えていたのを「対自分」で考えるようになりました。
羽生名人:将棋の世界は、戦術の流行があるのですが、活躍できるかどうかのバロメーターは流行りのものと自分の戦術とのマッチングの部分が大きい。自分の好きな戦術が流行っている時は勝ちやすいということはあるので、どれだけ流行りに合わせていけるかが重要な要素です。ただ、同時に、ある程度流行りに合わせながら個性やカラーは捨てないことが大事だと思っています。ここ十年ぐらいは、そういう新しいトレンドは20代前後の若い方から生まれていることが多く、将棋の差し方の考えも違うので、そういうのも一つの戦術として認めながらやっています。温故知新じゃないですが、常に新しいものが流行るのではなくて、めぐり巡って昔の戦術と似ている部分もあるので、その時は長年の経験が生きてきますね。
国枝選手:若手の選手はパワーがあって、パワー対パワーだとどうしても押されてしまうこともある。スライスを一本交えて、変化をつけて、相手のバランスを崩したり、クロスからストレートにかわる難易度が高いショットを1手目から交えていくとか、色々な変化をつけながらなんとか勝利をもぎとっている感じです。自分の特徴を生かすのであれば、フットワークとテクニックのコンビネーションで相手を攻略していくのもありだと思います。以前は、バックハンドはスライスが主流でした。スピンで打つのは身体のひねりとか必要なので、無理だといわれていましたが、2005年にトップスピンを私が取り入れて、周りが真似するようになりました。今の世代は、若い頃からトップスピンに慣れているので上手ですしパワーがあります。一方、あえてスライスに戻ってみたりすると、逆に、スライスに慣れていない若い世代には効いたりする。そこが面白みでもありますし、歴史を感じます。
Q:お二人との震災直後から復興支援に参加しておられますが、震災から4年がたって感じることはありますか?
国枝選手:2012年のロンドンパラリンピック後、「ユニクロ復興応援プロジェクト」の企画で石巻を訪問して、震災被害が2番目に大きい学校も訪問しました。小学生の中には、両親をなくしたりした子もいたので、正直その場で自分が何を話せば良いのか迷ったのですが、体育館に入ったら、小学生たちが元気に迎えてくれて、震災から1年以上経ってはいるけれども、ああいった笑顔ができることが、人間の持つ生きる力を感じ、逆に学ぶことが多く心に響きました。
羽生名人:名人戦で被災された現場や地元のみなさんと話をした時は、自分にできることは限られていて無力だと思うところはあった。ただ、そういう風に感じながらも小さいことの積み重ねで復興に協力できればと思っている。また、そこで暮らしている人たちの力強さを感じ、励まされました。
Q:国枝選手は、来年リオで、2020年には東京でパラリンピックを見据えておられ、羽生名人は4月に名人戦を控えられています。最後に、お二人の抱負をお願いします。
国枝選手:リオではシングルス3連覇を目指していて、東京で4連覇を目指したいです。現状に満足せず、進化していきたい。
羽生名人:4月が1年のスタートとして、良いかたちで名人戦を迎えたい。ちょうど30年目の節目の時なので、頑張りたい。名人戦は、江戸時代は家元の称号で約400年間変わりなく続いている歴史と伝統のあるものなので、その舞台で自分の力を出し尽くしたいと思っています。
初対面にもかかわらず、お二人の人柄の良さもあり、始終穏やかなムードで対談が進みました。対談が始まった直後は、国枝選手が緊張されているご様子でしたが、非常に気さくにお話される羽生名人との会話が進むうちに緊張もほぐれたようでした。最後には国枝選手が、将棋盤の桐箱に羽生名人のサインを受け取り、また自身のサイン入りユニフォームを羽生名人に渡されていました。