ユニクロは今年、誕生30周年を迎えます。そこで、ユニクロ1号店で店長を務めていた森田生夫に話を聞きました。眠れずに過ごしたオープン前夜、また、現在のユニクロの成長を予感させたオープン当日の様子など、30年を振り返りながら語ります。
■予想もしない展開だった1号店のオープン
広島県広島市の中心地に、「広島本通商店街」というアーケード街があり、そのメインの通りから少し奥に入った、一般住居用のマンションの1、2階に、ユニクロ1号店はオープンしました。30年前の6月のことです。
初日のオープン時間は早朝6時。新規店舗のオープン時間は当時から今も変わりません。私や、本社がある山口県から応援に駆けつけたスタッフは、開店準備のため、社員の住まいとなっていた3階に泊まり込みで当日を迎えたのですが、前日から一睡もできませんでした。奥まった立地の上、当時には珍しい早朝オープン。本当にお客さまは来て下さるんだろうか? と気がかりだったからです。
開店2時間前。通りを見下ろしても人っ子一人いません。「これはダメかもしれない……」と思い始めた頃、あちらこちらから人が現れ、次第にお客さまが集まり始めたんです。結果、ありがたいことに6時には店舗前には長蛇の列ができていました。もちろん、現在も新店舗オープン時には必ず行っている、あんパンと牛乳(現在はお茶)の進呈も当時からしていたんですよ。
オープン当日の盛況ぶりは、入場制限を行ったほどです。混雑で店内は身動きもままならない状態。お買い物を終えたお客さまが、再び正面出入り口へ戻ることもできないほどでした。混雑を何とかしようと急遽、社員通用口や2階の倉庫を通ってお帰りいただく、というハプニングもありました。現在は決して起こらないことですが、やはり1号店。予想もしない展開でした。
■その後の成長を予感させたオープン初日
私は山口県宇部市の出身です。もともと服にかかわることが好きで、地元の紳士衣料品店であった、ファーストリテイリングの前身の会社に入社しました。その後、ユニクロ1号店の店長となったわけですが、紳士服店からカジュアルブランドへの転機となったこの1号店は、いわば社運をかけた事業でしたから、社長を始め従業員全員、その意気込みは相当なものでした。
商品の陳列方法や、天井が高く「倉庫」をイメージした店内で、じっくりと品物を選べる「ヘルプ・ユアセルフ」方式は、当時から今も変わらないユニクロのコンセプトです。やはり、オープン初日に1,000名を超えるお客さまにご来店いただけたことで、当時画期的だったそのコンセプトに共感いただけたことを実感しました。また、その様子は、ユニクロのその後の成長を予感させるものでもありました。
かつて1号店があった場所には、ユニクロの店舗はすでにありません。ですが、今でも広島に行くと、必ずその場所を訪れます。やはり懐かしいんですね(笑)。この30年間、本当に早かったというのが正直な気持ちです。そのときどきには苦労もありました。でも、振り返るとそうでもないんです。今は、お客さまへ、そして、業務を通してさまざまな経験をさせてくれた会社、一緒に仕事をした仲間たちへ、ただただ「感謝」。この一言に尽きますね。